二者択一の恋(2)

「さっ! とっと着替えて暴れんぞぉっ!」
気炎を上げつつカコちゃんが扉を勢い良く開く。
途端に悲鳴やブーイング。
「きゃぁっ!」
「ちょっとぉ!!」
「さっさと閉めてよ、バカコッ!」
そりゃ、まあ、着替え中に開け放たれたらな。
って、待て待て!
だ、だってなぁ……オレ一応中身は男だし。
一歩二歩と後ろに下がったところでカコちゃんに感づかれた。
「おやおや? なぁに逃げてんのかなぁ?」
「に、逃げてない、よ?」
「そんじゃ、中にご案内〜♪」
「ひぃっ」
すごい力でずるずると連行される。
思い切り踏ん張っても意味がないって、どういうことだよ。
しかも軽々と……。
「もぉ、バカコ、姫がびびっちゃってるわよ」
「あー、ダイジョブだってば。な、姫?」
「あ、え、うん」
ずいっと顔を近づけてくるカコちゃん。
近い、近い近い。
キスでもするつもりか!?
「あんたらがそうしてると、カツアゲにしか見えないよ」
「んん、そうかぁ? え、アタシがされるほう?」
「んなわけないでしょーっ」
そ、騒々しい。
カコちゃんってのは、どうも人気者みたいだ。
姉貴はソレについて回る、金魚の糞ってとこ、か?
……どうも、カコちゃんが積極的に世話を焼きたがってるようにも思えるけど。
「ほれほれ、さっさと着替えないと、遅刻扱いされちまうぞー?」
「う、うん」
ああ、せっかく思考に埋没して、現実逃避してたのに。
だって、やばいって。
遠くからしか見たことがないような、下着の波。
ピンクやら白やら黒やら……。
あー、のぼせて来た。
男子校だから女のにおいにも慣れてないし、マジできつい。
なるべく見ないように、陰の方で……。
え、えっと。
まずは上着とブラウスを脱いで、ハンガーにかけて、と。
「なーに、こそこそしてんだよっ!」
「な、なに!?」
体操服の上着を取り出そうとしたところで、不意打ちにあった。
朝、姉貴につけてもらったブラジャーを思い切り引っ張られる。
隅っこで着替えていたのに、方向転換で真ん中を向かされてしまう。
そのとき、良い具合に指がかかったのか、わざとなのか。
「ひゃぁっ!?」
細身の割りに、そこそこ膨らんだ乳房を丹念にもまれる。
ちょ、ちょっと、やばいって。
これ、んっ、男にはない感覚で……頭、溶ける……。
顔と体が熱を帯びて、赤くなっていくのがわかる。
肌が白いから、周りの子にもバレてるだろう。
そう思えば思うほど、余計に熱くなってしまう。
「ちょ、っと、カコちゃぁんっ」
「お、色っぽい声だすねぇ! 燃えてきちゃったぞぉ?」
「ひんっ!?」
「ね、ねぇ、今日の姫、やけに可愛くない?」
「あ、うん。それあたしも思ったー」
「私もぉ! だって、いつものことなのに、見てたらどきどきするもん」
外野の声が、やけに遠く聞こえた。
その間にもカコちゃんが指を動かし続けている。
柔らかくしなやかなその愛撫に、オレの中の何かが壊されてしまいそうで。
カコちゃんから逃れようと身体をくねらせる。
だけど、それすらも快感に流されているみたいに見える様だった。
「今日はヤケにノリノリだねぇ、姫」
「やぁっ、違う、よぉっ」
「えー? んなこと言って、濡れてんじゃないの?」
「やめっ、それはだめぇ」
片手で胸をもてあそびながら、カコちゃんはオレのスカートをまくり始めた。
とっさにいつもの調子で怒鳴りかけて、慌てて取り繕う。
バレたらまずい。
姉弟で精神が入れ替わる、なんて他人に知られたらどうなるか……。
病院行きか、見世物になるか、研究所送りか。
一番確率が高そうなのが、『おもちゃになる』ってことだろう。
それは何としても避けないと。
「んふふ〜、ダメって言ってもやっちゃうもんね」
騒がしかった更衣室が、いつの間にかシンと静まり返っている。
聞こえるのはオレ自身の荒い息遣いと、カコちゃんの心臓の音だけだ。
スカートが完全にめくりあげられ、白い清楚なショーツがあらわになる。
誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。
今、めちゃくちゃ見られてる。
クラスの子全員に、オレの下着姿、見られてる。
男なんだから、別に凝視されたって問題無いはずなのに。
なぜだか股間の疼きが激しさを増していく。
快楽と羞恥がないまぜになって、目が潤んでいくのがわかる。
そんな心境を知ってか知らずか。
カコちゃんは焦らすみたいに、ゆっくりと下着をずらしていく。
降ろされてしまったら、湿っているのがバレてしまう。
何とかそれだけは防ごうと、ぼうっとしたままカコちゃんの手を押しとめた。
「あ、そんなことして良いと思ってんだ?」
「ぁっ、ご、ごめん、なさい」
特に強い口調で言われたわけでもない。
命令じみた言葉ですらなかった。
耳元で囁かれただけ。
それだけなのに、オレの――姉貴の身体はすくんでしまった。
慌てて手を離すと、耳たぶをついばむようにキスされた。
「いい子だね、姫」
「ゃんっ」
「可愛いよ」
再び、カコちゃんがショーツを下ろし始めたとき。
大音量でチャイムが鳴り響いた。
それを合図に一気に更衣室内の時間が動き始める。
「え、うそ!?」
「まだ着替えてないのにぃ!」
同時にオレの痴態を見つめていたクラスメイトたちが動き出す。
下品に舌打ちしながら、カコちゃんがオレの背中から離れた。
た、助かった。
手を離されて、ふにゃふにゃと床にへたり込む。
「チェッ、タイムオーバーかぁ。続きはまた今度だな」
「つ、続き、って……」
「んなことより、さっさと着替えないと」
腰が抜けて立てないオレを尻目に、カコちゃんはパッと着替えを済ませてしまう。
だけど、そのまま出て行くという気配はない。
他の子たちは、慌てて飛び出していっているというのに。
どうやら、カコちゃんはオレのことを待ってくれるらしい。
ちょっと楽しそうなのが気に障るけど。
よろよろと壁を支えに立ち上がる。
着替え、ないと。
「へぇ? 今日の姫は根性あんじゃん。……本物だよな?」
「ひ、酷い……本物に決まってるよぉ」
なかなか鋭い、な。
って、感心してる場合じゃない。
見えそうで見えない、というギリギリのパンツを元に戻す。
スカートを脱ごうとして、思い直した。
先にブルマ履いておこう。
本当に下着だけになるのは抵抗があった。
ブルマも十分すぎるほど嫌だけど。
う、変な感触だ。
パンツの上にパンツを履いている様な……。
「はい、姫」
「ありが、と」
体操着を頭から被る。
スカートを脱いで、なんとか授業に行ける格好にはなった。
「ちゃんと上をブルマの中に入れないと、怒られんぞ」
「あ、う、うん」
せめて見えにくいようにと思って、服を外に出していたのに。
着替えはしたけど、行きたくないなぁ。
男女とも外で球技……らしい。
つまりそれは、男の目にさらされるということだ。
……キモい。
オレじゃなく、姉貴の身体を見てるんだと思っても、気持悪いことは変わらない。
それでも、着替え終わったからにはカコちゃんは待ってくれない。
「ほらほら、さっさと行くぞぉ」
「わ、ちょ、ちょっと待ってよぉ」
一人きりならサボることもできるだろう。
だけど、今は逆らえそうにもない相手が傍にいる。
オレに出来ることと言ったら、カコちゃんを追いかけることだけだった。

「遅刻だぞ、おまえら!」
グラウンドに出るなり、怒声が飛んできた。
遠くですでにソフトボールをやっている男子まで、振り向くほどの声量だ。
注目されたくないってのに……なんだよ、この筋肉ダルマ。
色黒、タンクトップ、ランニングパンツ。
校風や制服が古臭いのはまあ良いとしよう。
だけど、なんだって教師までこんなに昭和臭がただよってるんだ?
「おらっ、なんとか言ったらどうだ!!」
どうせ頭まで筋肉なんだろう。
見るからにバカっぽい顔をしてる。
怒鳴れば偉いってもんじゃない。
「すみませんでした」
「す、すみません」
とりあえず、カコちゃんのマネをして謝っておく。
実際、遅刻したことに関してはオレ……というよりカコちゃんが悪いんだから。
「すみませんで済むと思ってるのか!」
だけど、謝ってすまない、というのはどういうつもりだ。
事情も聞かずに頭ごなしか。
生徒に嫌われるタイプだな。
挑発しても良いけど……体が姉貴だからなぁ……。
あ、そうか。
今は女なんだから、女っぽくいじれば良いのか。
「ごめっ、んなさい……。わた、しが、貧血、気味でっ」
姉貴が普段から泣いてるせいか、相当涙腺が緩いみたいだ。
ちょっと目の辺りに力を入れてみると、あっという間に視界がぼやけた。
そろそろ溢れる、と思ったところで顔を伏せて手で覆う。
「グスッ……ごめ、なさい。ごめんなさっ、い」
「黒井先生! あんまりじゃないですか!」
「お、おい、俺は何も泣かそうなんて!」
カコちゃんの抗議が引き金になったのだろう。
他の子たちも援護射撃をしてくれる。
「貧血なんだから、しょうがないじゃんーっ」
「さいてーっ」
「PTAに訴えてやる!」
「短足ー!」
「くっ……」
もはや誰が何を言ってるかわからない状態だ。
さすがに分が悪いと思ったのか、筋肉ダルマが猫なで声で呼びかけてきた。
「す、すまなかったなぁ、姫井。先生、言い過ぎたよ。許してくれ」
これで許すか?
……まあ、何か遺恨を残すと姉貴が苦労するんだしな。
このままいじめてやりたいところだが、解放してやろう。
「だいじょ、ぶです」
「そ、そうか。それじゃあ、姫井は少し休んでろ、な? 後の者は準備運動の後、ドッジボールをしていろ。チーム分けは好きにして良い。俺は用事を思い出したから、後は委員長に任せる!」
まくし立てるように言い切ると、誰の返事も聞かずに走って行ってしまった。
伊達に体育を教えていないらしい。
様になったフォームで、すぐに背中が見えなくなった。
ま、逃げたのがバレバレでダサいけどな。
「姫ぇ〜、うまいこと切り抜けたじゃんか」
「え、えへへ。やった、よ」
「あー、もう、可愛いなぁ、姫は!」
ぐしゃぐしゃと頭を思い切り撫でてくるカコちゃん。
か、髪が……。
見えないけど、悲惨なことになっているのは感覚でわかる。
「それじゃ、ボールとってくるねー」
「あ、あとライン引きも!」
「カコーッ、あんたこっちよ!」
そうこうしてる間に、チーム分けが出来たらしい。
カコちゃんが呼ばれて移動していく。
「はいはい。んじゃ、姫は一応サボっとけば? 黒井からの許可も出てんだしさ」
「あ、うん」
オレは休憩して良いみたいだから、木陰に移動して座り込む。
っと、あぐらはダメだよな。
え、えっと、横座りって……こうか?
……多少間違っていても遠目じゃわからないだろう、うん。
「それにしても、うっとうしい髪だな」
乱れた髪を直しながら、コートの方に目を向ける。
ふにょふにょと柔らかそうなボールを投げ合っている女の子たち。
黄色い歓声や悲鳴。
そしてブルマ。
でもって胸。
良いもんだなぁ……。
男だったら、こうは凝視できないし。
また時々入れ替わっても良いな、うん。
お、カコちゃんがボール持った。
え? ウインク……?
構えたと思ったら、一気にボールが射出された。
敵側の内野だけでなく、外野の女の子までその勢いに避けてしまう。
「もーっ、当たれよな!」
「だ、誰がアンタの殺人ボールに当たってやるもんですか!」
「姫を保健室送りしたの、忘れたとは言わせないわよ!」
「……忘れた!」
そんなことがあったのか。
いや、姉貴のことだ。
きっとどっちに逃げようか悩んでる間に、顔面にでもボールを食らったんだろう。
昔からとろいからなぁ……。
ボールを取りに行った外野が、カコちゃんにパスをする。
空中で受けて、そのままジャンピングスロー。
うなりを上げながら、二人の女の子にボールは当たって転がった。
ポニーテールを揺らしながら、カコちゃんが着地した。
いえーい、とでも言わんばかりに、Vサインをオレに向けてくる。
軽く手を振ってそれに応じる。
「よし、姫の応援で燃えてきたぜぇっ!」
「こらぁ、姫! バカコのやる気、これ以上出させてどうすんのよーっ!」
「何を姫のせいにしてんだよ! よし、次のターゲットはお前!」
「ちょ、ちょっとぉ!?」
宣言どおり、その子に剛球をぶつけて満足そうに笑っている。
……カコちゃん、楽しそうだな。
ああ、オレ、あそこにいなくてよかった。
ぼーっと、カコちゃんの奮戦を見ていると、男子側から歓声が聞こえてきた。
なんだろう?
そちらを向こうと思ったけど、カコちゃんの怒声に気を取られた。
「姫、あぶないっ!!」
「は?」
後ろから、本気で頭を殴られた。
そんな衝撃。
くらくらする。
気持ち悪い。
世界がかたむき、横転した。
襲ってきた吐き気とともに、視界がぼやけてくる。
スイッチが切れるように、オレの頭はそれ以上の思考をやめた。

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