二者択一の恋(3)

冷たい何かが額に当てられている。
目を開けると、空といくつかの丸い物があった。
徐々に視力が戻って、くっきりと映し出した。
カコちゃんと女の子が何人か、オレの顔を覗き込んでいた。
手をおでこに持って行くと、塗らしたタオルがのせてあった。
どういう状況だ、これ。
「あ、気がついた!」
「大丈夫、姫?」
「ほら、幸田君」
そっか。
オレは今姉貴になってんだよな。
ろくに回らない頭で必死に考える。
それで、今、幸田って言ったか?
つまり真人?
「あ、ああ。大丈夫か?」
ショートカットの娘にひっぱられて、真人が現れた。
オレは寝転がったままだから、あっちから見ると頭の横に立ったってことになる。
やっぱりでかいなー。
下から見てるから尚更……って、ハーフパンツの隙間から見えてるのも、なかなか立派なモノをお持ちで。
見て気持ちの良いものじゃないけど、なんか、気になる。
ああ、くそっ、なんだってオレがドキドキしなきゃいけないんだよ!
「姫井?」
オレの葛藤を知ってか知らずか。
方膝をついた真人が、心配そうに尋ねてきた。
「そもそも何があったのか……わからない、よ」
あ、危ねぇ。
素が出るところだった。
姉貴がそんなシャキシャキしゃべるかっての。
ん、少し思考がしっかりしてきたかも。
「俺が打った球が飛びすぎちゃってさ。それで、姫井の頭に当たったんだけど……」
「コイツってば、面白すぎ。姫が気を失ってる間、泣きそうになってんのよ」
「お、おま、バカコ! あ、あんまり本気にするなよ!?」
「あっはっはっ、青春ねぇ」
見るからにうろたえる真人。
カコちゃんはケタケタと、楽しげに笑っている。
ふーむ。
この反応とか見てると、マジで脈ありっぽいな。
しかし呼び出そうと思うと、カコちゃんが案外邪魔かもしれない。
ここまで絡んでこられると二人きりになるのも難しいだろう。
明日、姉貴に手紙を書かせて、机にでも入れておくのが一番だろうか。
「って、そんなことより、頭は? なんともないか?」
どうしたものか、と考えていたのを悪い意味に取ったらしい。
真人が心配そうに目を見てくる。
「う、うん。だいじょう、ぶ」
これ以上、事を大きくするのだけは避けたい。
病院連れて行かれて精密検査、なんて事態は勘弁だ。
ぐっと腕に力を入れて、ゆっくりと上体を起こす。
お、おお?
また視界が揺れた。
立ちくらみに近い感じで、大したことはない。
でも、意外にダメージが残っているみたいだ。
倒れ掛かったところを支えられる。
カコちゃんかとも思ったけど、この太さ、硬さは……。
落ち着いてから目をあける。
「あ……」
やっぱり真人だ。
って、近い。顔が近い。
目が離せない。
「はぁ……オアツイことで」
すっかり忘れてた。
カコちゃんをはじめ、女子がオレたち二人を取り囲んで生暖かく見守っている。
そんな状況に焦ったせいだろう。
バッと半ば突き放すように、真人がオレの身体を放り出す。
「うわ!?」
「わ、きゃっ!?」
とっさにきゃっ、て言っちゃったよ、きゃって……。
よろめいた身体を、また真人に抱きかかえられる。
で、また見詰め合って。
今回はさっさと顔をそらした。
血液の流れる音が聞こえて、頭に血が上っていくのがわかる。
横目で見ると、真人の顔も赤くなっていた。
ああ、もう、何やってんだ、オレら。
逃げよう。
うん。
「こう、だ君。保険、室……連れて、って?」
「え? あ、おお」
ちょっと甘えるように、袖を引いて頼んでみる。
ここから逃げたい、って意思が伝わったのか同意なのか。
明らかにほっとした顔で真人は大きく頷いた。
気になるのは、カコちゃんが『姫にしてはやるじゃん』って笑顔だ。
オレ、というか姉貴が真人と二人きりになろうとしてる、と勘違いしてるっぽい。
後から根掘り葉掘り聞かれそうだ。
ただ単に、逃げたいだけなんだけどな。
「ほら」
真人がしゃがみながら、背中を向けてきた。
この姿勢って、おんぶ……だよな?
それはさすがに恥ずかしいぞ。
「え、歩け、るよ?」
「またふらついたら危ないから」
「いいじゃん、乗っちゃいなよ、姫。ケジメのつもりなんだろーしさ」
「う……」
カコちゃんが横から口を挟んできた。
そんなこと言われたら、乗らないわけにはいかないじゃないか。
しゃがみこんだまま待っている真人の肩に手をかける。
恐る恐る、おぶさって。
「それじゃ、行くぞ」
「う、うん」
硬くてごわごわした真人の手が、完全に露出しているオレのふとももをつかんだ。
しっかりと、でも、傷つけないように大切に。
そんな気持ちが伝わってくる、やさしい力の入れ方だ。
バランスを気にしながら、真人が慎重に立ち上がる。
カコちゃんたちに見送られながら、ゆっくりと真人は歩き出した。
進み方こそ遅いけど、足取りは全然揺らがない。
オレを落とさないためだということがわかる。
はあ。
オレも男として、こんぐらい頼もしければなぁ。
「よっ」
オレが遠慮がちに掴まっているせいだろうか。
ずり落ちてしまうせいで、かなり歩きにくそうだ。
何度も位置を調整される。
男におんぶされてるってのはシャクだけど、仕方ない。
ちゃんと背中に体重を預けてやる。
「っ!?」
「え、ぁ、ご、ごめん、なさい」
その途端、びくっと真人が身体を震わせた。
オレ、なんかしたか?
良くわかんないけど、とりあえず謝っておく。
「あ、いや、急だったから驚いただけだ。気にすんなよ」
「う……うん」
そう言われたら、それまでだ。
そっから先は、さっきと同じように足取りもしっかりしているし。
詮索のしようがない。
にしても、背中でっかいな。
すこし汗ばんでいるけど、気持ち良い。
オレ自身の鼓動と、真人の心臓の音が追いかけっこしてる。
なんだか、すごく落ち、着……く。


あれ?
なんでオレ、寝てるんだ?
目を開けなくても、寝かされているってことぐらいはわかった。
布団の感触がある。
ちょっと嫌な、薬品の臭いもする。
保健室、かな?
左右の手で、暖かいものを握っていた。
なんだろう?
その『暖かいもの』をぎゅっと抱き締める。
なんでもいいや。
「お……い」
声が聞こえた。
せっかく気持ち良いのに、邪魔しないでくれよな。
もっと強く、胸に押し付けるようにして。
「姫井、おい」
今度はハッキリと耳に届いた。
この声、真人か?
驚いて目を開ける。
白い天井に、パーテーション。真人の困ったような顔。
ふと、オレが宝物のように抱きかかえている『暖かいもの』を見た。
ほどよく日に焼けた、逞しい腕。
どう見ても真人の肩から繋がっている。
それを姉貴のCカップの胸に大事そうに押し付けている。
「ひゃあああっ!?」
腕を放し、飛び上がり、飛び退った。
ちょ、ちょっと待て。
おかしいだろ!?
なんで真人の腕を宝物みたいに思わないといけないんだよ!
「ちゃんと起きたか?」
オレの悲鳴に顔をしかめながら、真人が問いかけてきた。
声も出せず、コクコクと頷くことで意思表示する。
「何? どうかしたの!?」
スリッパの音がして、保険医っぽい女性が顔を覗かせた。
ベッドの端まで逃げたオレ。
寝てたせいだろうけど、お腹の辺りがめくれている体操服。
そこから短絡的に判断したのだろう。
顔を紅潮させて、女性は真人に詰め寄った。
「こ、幸田君、あなた何してるの!?」
「ちょ、待ってください! 何もしてないっスよ!」
「何もしなくて、あんなことになるわけないでしょ!」
オレを余所に繰り広げられる口論。
って、このままいくと、真人、やばくない?
女子生徒を保健室に連れ込んで、エッチなことをしようとした。
うん。
やばい。
オレの学校だったら、停学だな。
いや、下手すると退学か?
そんなことになってみろ、姉貴は泣く。
家の床にカビが生えて、腐るぐらいに泣き続けるに決まってる。
ソレはマジで困る。
「あ、の。な、何もされて、ません」
「脅されでもしたの? 本当のことをちゃんと言いなさい。私は味方だから」
「うわ、俺、信用ねぇ……」
「ほら、今なら私たち以外には誰もいないから」
ショックを受けてる真人は、完全に無視されている。
どうしよう。
なんか思いこんだら一直線って感じだな、この先生。
「その、本当に、何もない、ですから」
無駄かもしれないと思いながらも、もう一度否定してみる。
「本当に?」
「はい」
「本当の本当?」
「は、はい」
オレ、別に悪いことしてないよな?
さっきからこの人、視線を外さない。
じーっと目を覗き込んでくる。
何もやましいところがなくても、ずっと見つめられたら気まずい。
つい、あさっての方向を向いてしまった。
「目が泳いだわ!」
「はぁ?」
途端に鬼の首をとったかのように騒ぎ出した。
何言ってるんだ、この人は。
展開についていけず、思わず素が出てしまった。
隅で小さくなっていた真人が、驚いたようにこっちを見た。
そりゃ、オレだって姉貴がそんなリアクションしたら、何かあったかと心配する。
「嘘つきは見つめられたら、視線をそらすものよ。いい? そもそも……」
真人を観察している間も先生の講釈は続く。
オレは聞く気がないから、独り言を言っているのと同じだけど。
今気にしないといけないのは、先生より真人だ。
さすがに自分の立場がマズイってわかっているんだろう。
背中を丸めて、困った顔をしていた。
でかい図体に似合わないその仕草を、不覚にもちょっと可愛いと思ってしまった。
飼い主に叱られて、うなだれているゴールデンレトリーバーに似ている。
これが世に言う、ギャップ萌えとかいうヤツだろうか。
「つまり、あなたは嘘をついている!」
ぼけっと真人について考えていると、いつの間にか演説が終わっていた。
先生がビシッとオレを指差して、決め付けてきた。
人を指差すなって子供の頃に教わらなかったのか。
失礼な。
「胸を揉んだり、キスしたり、色々したに決まってるのよ!」
と、今度は真人を無遠慮に睨みつける。
そんなことまで断言されても。
実際には何もやましいことなんてないくせに、真人は俯いてしまう。
それがさらに先生をエスカレートさせた。
「それだけじゃ済まないんじゃない? 変な写真でも撮って、脅すつもりでしょう!?」
もし姉貴なら、このタイミングで動けるわけがない。
でも、我慢の限界だった。
別に真人だから、とかそんなんじゃない。
ただ単に、下世話なこの女に腹が立っただけ。
怒鳴りつけないだけでも、褒めてほしいぐらいだ。
「ほんとうに、何もされてません」
ベッドから降りて、二人の間に割り込む。
特に意識してなかったけど、結果として、先生の目から真人を守る形になった。
「姫井……」
すがりつくような声が背中から聞こえてくる。
情けないと思うものの、この女相手がなら仕方ないかもしれない。
オレだって攻められる側だったら、真人と同じようになっていたかもしれない。
人の話、全然聞かないし。
とにかく、誤解を解かないと、な。
「なんでそんな人を庇うの? あ、やっぱり脅迫されてるのね」
「されてません」
「じゃあどうして? 変なことされたのに……」
ダメだ、この人。
当事者が何もされてないって言っても信じようとしない。
こうなったら、ごり押しだ。
「されてません」
「だってさっきは」
「何のことですか?」
続きを言わせない。
オレの剣幕に押されたのか、態度にひるんだのか。
先生が言葉に詰まった。
このまま主導権を握ってやる。
「さっきは……何かありましたか?」
「だ、だって、悲鳴が」
「悲鳴? 聞こえた、幸田君?」
振り返って真人に尋ねる。
目が合うなり、オレの意図を察したらしい。
力強く否定してくれた。
さすがに地元では名前の知られた学校に通ってるだけはある。
「いや、全然」
「と、いうことです」
「ちょ、ちょっと、待ちなさい! だって私は」
「気のせいです」
「センセー、疲れてんじゃないスか?」
真人も調子に乗って責め立てる。
意気消沈していたのがウソみたいだ。
でも、いじめるのが目的じゃない。
それ以上真人が挑発する前に、退散することにした。
とにかく、先生の誤解を解くという目標はクリアできただろうし。
「幸田君、行こう」
「え? あ、ああ」
ぐっと真人の腕を引っ張って、出口に向かう。
もっと責めるつもりだったみたいだけど、素直にオレに従った。
先生もオレたちを止める気力はなくなったようだ。
……ちょっとやりすぎた、かな。

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