二者択一の恋(4)

保健室を出て、角を曲がったところで真人が口を開いた。
「いや、驚いたぜ」
「え?」
「だって、まるで別人じゃん? 普段の姫井見てたら、あんな風に誰かに向かっていくなんて想像できないって」
「あ、うん」
たしかに。
血が上っていたと言っても、うかつだった。
どうやってごまかそう。
今日はムダに脳みそ使う日だ……。
話をずらそうと思っていると、真人自身が路線を変えてくれた。
「なあ……昼休み、時間取れるか?」
「だ、だいじょうぶ、だけど?」
なんだろう。
やけに真剣な顔をしている。
「じゃ、屋上で待ってるわ」
「う、うん。行く、ね」
もうすぐ授業が終わりそう、ということで更衣室に直行した。
こっそりと中をうかがってみると、まだ誰もいなかった。
ふう、今回は落ち着いて着替えができそうだ。
またカコちゃんに邪魔されたらどうしようかと思ってたから、一安心。
なるべく肌を見ないように、ちゃっちゃと着替えてしまう。
っと、デオドラントスプレー、忘れないようにしないと。
いつもは男子校だから、運動してなかったらつけたりしないんだけどなぁ。
姉貴の身体だし、汗臭いって真人に思われたら困るもんな。
さ、教室に戻ろう。
ドアを押そうとしたら、いきなり目標物が消え去った。
オレが開ける前に、外から引かれたんだ。
頭では分かっても身体は言うことを聞かない。
そのまま中に入ってこようとした人とぶつかってしまった。
「むぎゅ!?」
「おっと」
前のめりになったせいで、ちょうど胸に顔をうずめるようになる。
あわてて身体を離す。
「おお、姫じゃん。アタシの胸に飛び込んでくるなんて、かわいいやつ」
「ぷぎゅっ」
声からして、相手はカコちゃんだったようだ。
確認しようにも、抱き締められてしまったせいでできないけど。
オレがもがいている間にも、カコちゃんの後ろからはブーイングが起きる。
「ちょっとぉ、姫がかわいいのは分かったから、さっさとそこどけてよ」
「次は遅刻したくないのよ!」
「そうそう、化学のモヤシなんだから」
「あ、そっか。あいつ時間に厳しいかんなぁ……。しゃーない、姫、ちゃんと待ってろよー」
「う、うん。待って、るよ」
モヤシとやらのおかげで、なんとか解放された。
見たこともないが、心の中で感謝しておく。
更衣室に押し込まれそうになるのを不自然にならない様に避ける。
健全な男子高校生にとっては眼福かもしれないが、俺にとって目の毒だ。
毒というよりは刺激が強すぎる、と言った方が正確か。
興奮したって、別にバレることはないんだけど。
にしても、人の振りって結構疲れるなぁ。
肩が凝って仕方ない。
首を回すとコキコキと小気味いい音がした。
やれやれ。
さっさと元の身体に戻りたい。
「姫ー、おっまたせ!」
「あ、うん」
カコちゃんが更衣室から出てくるなり、オレの手を取って歩き出す。
ちらっと中を見ると他の人たちはまだ下着姿だった。
性格も男勝りだけど、着替えも豪快らしい。
「か、カコちゃん、はや、っいよ」
「っと、ごめんごめん」
体力のない姉貴の身体では、ぐいぐい引っ張られるだけで息が上がってしまう。
なんだか焦ってるみたいだな。
どうかしたんだろうか。
「いやー……アタシ、当たってんだよね、今日」
「ふぇ?」
「姫なら宿題、やってるよね?」
つまり、見せろってことか。
姉貴ならたしかにやってるだろうな。
たまにぼけーっとしてるから、絶対と言い切れないのが怖いところだけど。
「う、うん。やってる、と思う、よ」
返事の音量も段々小さくなってしまう。
肺活量がないから、それこそ蚊の鳴くような声とでも言えばいいだろうか。
「は? ま、いいや。やってなくたって、あんたならちゃちゃっとできるだろうし」
ああ、姉貴って理系が得意だったな、そういえば。
逆にオレは苦手だから、できてないとまずいかもしれない。
それでなくてもうちの学校よりレベルが上だし。
「事情がわかったらさっさと戻んぞー」
「わ、わわ、そんなに、引っ張ら、ないでよぉ」

「えと、これ、かな?」
机から何冊かノートを引っ張り出す。
表紙に『化学』とあるから、これがたぶんそうだ。
開いてみると、ちゃんと丸っこい字で答えが書いてあった。
「やっぱやってんじゃん。ちっと貸してな」
カコちゃんはノートを受け取るなり、鼻歌を歌いながらいってしまった。
はぁー。
なんとかバレずにすんだな。
こんなことを何日も続けるのかと思うと、気が重い。
都合よく真人の方から呼び出してくれたことだし、今日で決着つけてやる。
……ちょっと待てよ。
真人の様子からして大丈夫とは思うけど、もしフラれたら?
姉貴にはちゃんと結果報告しないといけないよな。
ってことは、泣かれる。間違いない。
今までにないぐらいハデに。
絶対に負けられない、ってことか。


3時限目の化学、4時限目の数学と俺にとってはついていくのすら精一杯な授業が続いた。
ノートの字の汚いこと。
まあ、姉貴のことだ。
後で清書するだろうから、読めればいいか。
顔を上げると、真人が目で合図しながら出て行った。
「姫〜、学食いこーぜ、学食!」
「あ、ご、めん。その、ちょっと、用事が」
嬉しそうに駆け寄ってきたカコちゃんに急いで謝る。
「えぇー。姫、アタシと用事、どっちが大事なの」
「ぅ、えっと。あ、う」
「なんてな。ジョーダンだよ、ジョーダン。さっさと行って来なって」
「ありがと。ごめん、ね」
カコちゃんに背中を押され、教室を出る。
えーっと。
屋上。
階段を上ればつくのか?
人でごった返しになっている廊下を急ぐ。
間違ってたら面倒だよな。
1年以上通っている学校で迷うはずがないから、言い訳も苦しいぞ。
だが、幸い、その心配は杞憂に終わったらしい。
手すりにロープが張ってあった。
『生徒立ち入り禁止』と簡潔に書かれた紙がつけられている。
歴史のある学校だし、この程度の対策でいいんだろうな。
ウチだったら、見張りでも立ててないとダメだろうけど。
誰も近くにいないことを確認して、ロープをくぐる。
そっと扉を開けると、思いのほか強い風が吹いていた。
音を立てないように気をつけてドアを閉める。
長ったらしい髪がバサバサと広がってしまう。
後でトイレに行って整えないとな。
で、真人は、と。
来てないのか?
先に出たくせに。
「姫井、こっちだ、こっち」
どこだよ。
すぐ近くで声がするのに……?
「上だって」
真人は少し左にある給水棟に腰をかけていた。
俺が認識したと分かったんだろう。
梯子を伝ってゆっくり降りてくる。
最初から下にいろよ、と思わなくもないけど。
「よお」
「う、うん」
俺の目の前まで来て、立ち止まる。
軽い挨拶に、曖昧な返事を返す。
そっと手首を握ると、脈がかなり乱れていた。
やばい、緊張してんのか、俺。
「こんなとこに呼び出して、悪いな」
「ううん、だい、じょうぶ」
「俺さあ」
「うん?」
「大人しくて、カワイイ娘が好きなんだよな」
いきなり自分語りか?
いや、それ以前にそんなの女に聞かせる話じゃないだろう。
やっぱりコイツ、やめた方がいいんじゃないか、姉貴。
頷いて話を促す。
「1年前にもそんな先輩と付き合ってたんだ」
「へ、へぇ」
「ちょうど姫井みたいな」
え!?
な、何だ、この流れ。
「で、なんつーか、すれ違いみたいになって別れ話切り出したら、いきなり泣かれてさ」
「そう、なんだ」
うん。
姉貴みたいな性格の人なら、泣くだろうな。
誰かに依存しないと生きられないタイプだから。
似たような覚えがあるだけに、その振られた先輩とやらの家族に同情してしまう。
「ああ。だから、姫井のことも気になってたんだけど、また泣かれたら嫌だろ?」
嫌だろうな、そりゃ。
って、今、さらっと気になってるって言わなかったか?
俺から告白しなくてもいい雰囲気?
ラッキー。
「でも、今日のお前を見て、認識が変わったんだ」
「え?」
もしかして、保健室のアレで?
だとするとちょっと面倒だなぁ。
姉貴にあんなこと期待できないし。
「普段は大人しく見えても、姫井って芯が強いんだって」
「そ、そんなこと、ないよ」
勘違いだ。
それは全然違う。
最初の認識であってるよ、それ!
「あるって。俺のことかばってくれたじゃん」
「あ、う、ん」
「いつも泣くようなタイプだったら嫌だったけど、その、もし良かったら付き合ってくれないか?」
すみません。
ウチの姉はいつも泣くようなタイプです。
やっぱり人のマネなんてムリだって話か。
でも、これ、断れないよな。
となると、OKするしかない。
「えと、よ、よろしく、おね、がいします」
身長差10cm以上。
意識しなくても上目遣いになる位置だ。
それをあえて強調してやる。
「わ、私、も、ずっと好き、だったから」
大概の男はかわいい顔で媚び売っとけば、何とかなるからな。
男子校で得た経験がこんな風に役に立つとは思ってもなかったけど。
真人もそこらの男と変わらず、単純なようだった。
「うわ、マジで? 嬉しいよ」
まったく疑いもせず、簡単に信じた。
姉貴がコイツを好きってのは本当だから、騙してるわけではない。
良心が痛む必要はないんだ。
「あ、今日ヒマか?」
「え?」
「もし良かったら、帰りに駅の方に遊びに行かないか?」
どうしたもんだろう。
せっかく自分から告白しなくてよかったのに、デートをするってのもなぁ。
でも、コクられて初日に断るっていうのも、不味いか……?
うーん。
「うん、良い、よ」
「よしっ! じゃ、アドレス交換しようぜ」
「あ、う、うん」
姉貴のって、オレのとキャリア違うんだよな。
操作方法がイマイチ……。
あれ?
こうじゃないのか?
「どうかしたか?」
手間取っていると真人が背後から覗き込んできた。
真横に整った顔がある。
へぇ、意外とまつげ長いんだな、こいつ。
「ん?」
「な、なんでもない、よー」
「そっか。お。機種一緒じゃん」
真人がオレのケータイの横に自分のを並べる。
おお、ホントだ。
「すごい、偶然、だね」
「なんか運命的だな」
くっさぁ。
あ、待てよ。
姉貴のやつ、1ヶ月ぐらい前に機種変してたよな。
ってことは最初っからお揃いにするつもりだったのか。
どこまで好きなんだよ、こいつのこと。
「ちょっと貸してみ」
言いながら、オレの手ごととケータイを掴む。
でかくてゴツゴツしている。
素振り、結構やってるんだな。
マメが潰れて硬くなっているのが分かる。
「ほら、ここを押して、赤外線通信を選べば……」
「え、あ、ありが、と」
二人でケータイを向き合わす。
これが真人の番号か。
よし、登録完了。
「もう、だいじょうぶ」
「そっか。それにしても姫井の髪って、良い匂いだよな」
どきっ
離れかけた真人が、オレの長い黒髪をくんくんと犬のようにかいでいる。
な、なんだ、この感覚。
緊張っていうか、恥ずかしい?
それに嬉しいのも合わさったような、変な感じだ。
「あり、がと」
ついお礼の声も小さくなってしまう。
くそっ、これじゃ本当に姉貴みたいじゃないか。
空気に呑まれない内に、さっさと教室に戻るぞ!
「そ、それじゃあ、えっと、放課後、に」
「ああ、場所はまた後でメールするな」
パッと身体を離して向き直る。
……そんな名残惜しそうな顔するなよな。
俺が悪いことしてるみたいじゃないか。
「あ、その、冷やかれるの、嫌、だから」
「わかったよ。時間おいて戻るから、心配するなって」
「ありが、と」
ふう。
疲れた。
この後、2時限授業を受けた後にデートか。
気が重いな。
姉貴に何かおごってもらわないと、割に合わないぞ。


結局、昼休みがほとんどなくなってしまっていた。
今からじゃパンを買いに行っても間に合わないだろうなぁ。
仕方なく、姉貴に教えてもらったとおりにトイレだけ済まして教室に戻る。
あ、真人、先に帰ってたんだ。
席に座ると、すかさずカコちゃんが寄って来た。
「姫〜、首尾はどうだった?」
「え、な、な!?」
「ぷっ……顔見りゃ分かるよ。よかったじゃん。おめでとさん」
「あぅ、え、うん」
何してたかバレるのはともかく、顔を見ればってどういうことだ。
オレ、そんな嬉しそうなのか?
トイレで鏡見たときは普通だった、はずだけど。
「両想いだったんだから、もっと嬉しそうな顔しないと。ほれほれ〜」
「ふぎゅぅ、ふぃはひおぉ」
むにむにと柔らかい頬をこねられる。
手を止めて、カコちゃんはため息をついた。
「あーぁ、アタシも彼氏欲しいな。姫みたいな男、どっかに転がってない?」
転がってません。
姉貴みたいな男がいて、たまるか。
男からしたら、キモチワルイだけだぞ。
……姉貴、大丈夫だよな?
明日学校行ったら、ホモ扱いとか……いやいや、変な想像はやめておこう。

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